サッカー (Soccer) は、数あるフットボールのうち、アソシエーション・フットボールないしはアソシエーション式フットボールとして示される、スポーツ競技のひとつです。他のフットボールと比較して、手の使用が極端に制限されるという大きな特徴があります。
1チームは11人以下でどちらかのチームが7人未満の場合はプレイが不可能となります。2チームが敵味方となり、1個のボールを主に足を使って移動させ、自チームのゴールを守りつつ、相手チームのゴールへと運びます。相手ゴールにボールが入ると得点が1加算されます。試合は制限時間の満了によって終了し、時間内により多くの得点を記録したチームが勝ちとなります。
足以外でも手と腕以外は使って良いとされています。手や腕で、故意にボールに触れた場合は反則となります。各チームには1人だけ、ゴールキーパー というゴールを守る特別な役割のプレーヤーを置くことが定められています。ゴールキーパーだけが、自ゴール前の一定の領域(ペナルティエリア)内に限り、手を含む全身でボールを扱うことを許されています。
参照
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サッカーの起源
足でボールを蹴る遊戯は、考古学的には、古代エジプト、古代ギリシャ、古代ローマから足でボールを蹴る人物のレリーフが発見されています。中国では戦国時代から足で鞠を蹴りあう蹴鞠という遊戯が存在していました。
イングランド
近代サッカーの起源は、中世イングランドで「フットボール」として行われていました。村同士で1つのボールを互いの村の決められた地点まで運んでいく遊び(あるいは宗教行事)です。いつ、どのような目的でこのような催事が始まったかは明らかではありません。ただし類似の催事はヨーロッパ各地で行われていました。ルールは無いにも等しく手や身体の使用に関する制限も参加人数の規定もありませんでしたが、多くの地域に共通して「一点先取したほうが勝ち」というルールが採用されていました。明確なルールがないため、勝利に固執するあまり互いの妨害行動も頻発し、決められた地点にボールを持っていくまで何日も試合が終わらないという事態が度々あったそうです。死傷者の発生や他人の財産を損ねる事もしばしばあったため、時の国王がしばしば「フットボール禁止令」を発したそうです。イングランドの一部地域では現在でも、このクラシックなフットボールが祭典として行われています。
イタリア
15世紀イタリアでも、イングランドのフットボールに良く似た「カルチョ」( Calcio )という遊びが存在しました。この遊びがイングランドやフランスと決定的に異なる点は、農村地帯の広い空間でなく、都市の限られた空間である広場で行われていたことです。そのため自ずとフィールドが限定され、参加人数も限られたものとなり、簡単な役割や作戦も決められていたようで、これは現在のフットボールにかなり近い存在であったと言えるでしょう。
サッカーの確立
フットボールやカルチョのような遊びは近世末までヨーロッパ各地で行われていました。ところが18世紀中頃から19世紀にかけて勃興した産業革命によって、大量の工場労働者を生み出すために農村の共同体が崩壊させられると次第に廃れていきました。
農村の代わりにフットボールをレクリエーションとして受け入れ、近代的な「スポーツ」として成立させたのがイングランドにおけるパブリックスクールでした。パブリックスクールでも当初は農村での遊びに近い形態で行われていましたが、次第に子弟教育の一環のスポーツとして体裁が整えられて行きました。この時点でのフットボールは学校毎にルールが異なり、他校との試合の際はその都度ルール調整のための話し合いが持たれました。しかし、これでは手間もかかる上、ルールに対する理解に齟齬を来たすため、しばしばルール統一を目指した協議が行われました。こうして1850年代までにはイートン・カレッジを中心とする「手を使うことを禁止するルール」と、ラグビー・スクールを中心とする「手を使うことを許可するルール」との二大勢力に収束していきましたが、両者の間には依然として大きな隔たりがありました。1863年、長きにわたる対立を解消しようと、ロンドンで最終的なルール統一を目指した協議が開催されました。しかしながらこの協議は物別れに終わります。ラグビー校の代表が席を立ち、遂に2つの競技(サッカーとラグビー)の決別が図られたのです。これこそがサッカー誕生の瞬間でした。同年に、「手を使う事を禁止する」ルールを主張していたパブリックスクールの代表者らによって、フットボール・アソシエーション( Football Association )が設立され、こうしたフットボールを協会式フットボール Association Football と呼ぶようになったのです。その省略形 soc に「人」を意味する -er をつけたものが soccer の語源であり、1880年代頃から使われているといわれています。
サッカーの伝播
1872年 イングランドとスコットランドの間で行われた初の国際試合(当時の新聞の挿絵)
イングランドのパブリックスクールで始められたサッカーは、パブリックスクールのOBを中心に早い段階からイギリス各地域(スコットランド、ウェールズ、アイルランド)に広まっていきました。1872年には、最初の国際試合がイングランドとスコットランドの間で実施されました。その後1880年代までに、スコットランド、ウェールズ、アイルランドではサッカー協会が結成されました。19世紀後半のイギリスは世界中のあらゆる場所に進出する大英帝国であったので、サッカーが世界中に伝播されるのに非常に都合がよかったのです。サッカーは最初海外に進出するイギリス人が駐在先でプレーした事によって伝えられました。1880年代末までには、ベルギー、スイス、フランス、ドイツといった西ヨーロッパ、中部ヨーロッパに、1890年代末までには東ヨーロッパや南米に、20世紀初頭にはアジア地域にも伝播していったのです。
サッカー大会の開始
イングランドでは、1872年に最初のサッカー大会となるFAカップが開始されました。これは他の多くの国、地域でのカップ戦のモデルになっています。FAカップでは最初アマチュアクラブや、大学チームが活躍していましたが、1880年代に入ると、生活保障を受けるプロフェッショナルプレーヤーが誕生しこれを主体としたクラブが上位を占めるようになったのです。こうした国内強豪クラブを集めて実施されたのが1888年から始まったフットボールリーグです。これはサッカーでは最初のリーグ戦であり、多くの国、地域が自国のリーグ戦のモデルとしています。
プロフェッショナルの誕生と産業化
20世紀初頭までにイングランドでは完全にプロフェッショナルが主体となり、他の国、地域でもこれに追随しました。アマチュアとプロフェッショナルの間で多少の軋轢があり、時期的な違いが見られるものの、当時強豪国と呼ばれていた国・地域のほとんどは1920年代までにプロフェッショナルへの移行を果たしています。
プロフェッショナルとなった彼等に払われるサラリーは当初ごく僅かなものであり、これはパブ仲間内で出し合ったお金で遣り繰りする事は可能でした。次第に選手へのサラリーが増大し、高額な移籍金で選手を集めるクラブが出現し始めると小額の資本でクラブを運営していく事は難しくなり、クラブの運営はより大きな資本を持つ者の手にゆだねられるようになりました。最初は企業家、商人、医師といった地元の名士が名乗りを上げましたが、1920年代以降になると次第にもっと大きな資本がクラブの運営に手を出すようになってきました。フィアットの資本的バックアップを受けたユヴェントスや、フィリップスのバックアップを受けたPSVアイントホーフェンなどはその一例です。
国際大会
サッカーで最初の国際大会は、オリンピックにおけるサッカー競技でした。オリンピックでのサッカー競技は1908年のロンドンオリンピックでしたが、オリンピックのシステムとサッカーのそれは互いに矛盾する点が幾つか見られました。前述の通り1920年代までに強豪国のほとんどがプロフェッショナルへの移行を果たしていましたが、アマチュア憲章を掲げるオリンピック代表では最強のナショナルチームを結成する事は不可能でした。1904年に結成された国際サッカー連盟(FIFA)は、1930年からプロフェッショナルも出場可能なFIFAワールドカップを開始しました。以降アマチュア中心のオリンピックは急速に興味を失われていく事になります。第二次世界大戦後には各大陸連盟が設立され、これらの下で大陸別選手権が開催されるようになったのです。又同時に、各大陸連盟はクラブチームによる大陸別選手権も実施しました。ただしクラブチームによる世界選手権、FIFAクラブワールドカップが創設されるのは21世紀を待たなければならなかったのです。
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